第2話「奇跡の勝利」
「この試合だけは負けられない・・・・!!だから、どんなことになっても試合終了だけはさせないでね・・・」
控え室で決意をあらわにして正規軍の面々に向かって話しているのは、女子
プロレス界きっての美女レスラーとして名高い月嶋雫である。
肩の少し下で切った艶やかな髪に、妖精とあだ名されるにふさわしい可憐な容貌、そしてグラビアアイドルなど軽く蹴散らす自己主張の強い胸とスレンダーな体。
日々の練習で余分な脂肪の無い肢体を、胸を強調したライトグリーンのハイレグワンピースと、同色のリングシューズで装っている。コスチュームには、ウエストの周りに半透明のフリルがつけられており、腕には、二の腕の半ばまである薄手の手袋をつけている。
ブラスターとはこれまでにも幾度もハードコアで対戦してきたが、有刺鉄線は雫にとって初体験であり、これまで何度も他団体のトップヒールと抗争を繰り返してきた、いわばハードコア戦のスペシャリストであるブラスターには、明らかに分が悪いと言わざるを得ない。
「先輩、時間です。準備を願いします」
時間がたち、正規軍の若手が控え室のドアを開ける。
頭にかぶっていたタオルを肩にかけ、いつものリングコスチュームの上から着るドレスを着ずに、凛とした表情で歩き出す。
取りの一番、月嶋雫とブラスター狂子の完全決着戦、しかも、有刺鉄線ノーレフリー時間無制限一本勝負ということで、会場中が満席になり、立ち見の客すらいる。
そんな中、美女と破壊獣は有刺鉄線のロープに囲まれて向かい合った。
「今なら土下座すれば見逃してやらないことは無いよ」
ブラスターが慈悲深い、と彼女自身では思っている口調で降伏を迫るが、凛とした表情で雫がそれを突っぱねた。ブラスターも、雫が降伏すると思ったわけではないが、雫の表情には不快感を覚える。
(気に食わないね・・・・!!あの澄ましきった顔を消してやるよ、あたしらに逆らえないようにね・・・!!)
レフリーがいないので、試合開始はリング下で行われる。
そして、ゴングが鳴った。
空中戦を得意とする雫は、有刺鉄線のリングでは不利である。
そのため、ブラスターの得意とするどんなパワー殺法にも対応できるよう、慎重にスタンダードなファイティングポーズでブラスターに近づいた。
しかし、ブラスターの攻撃は雫の思惑を完全に打ち砕いた。
ボクシングのポーズをとったブラスターは、スピードと反射神経では団体随一を誇る雫でさえ虚を付かれたほどのスピードでステップインし、ジャブでガードを打ち崩していく。
「くうっ、ぐあぁ・・・っ」
ブラスターの怪力からすれば、ただのジャブでも雫の渾身のストレート並の破壊力になる。かろうじてガードに成功した雫だが、ガード越しに伝わる衝撃にうめきながら、距離をとろうとして距離をとろうとしたが、ブラスターの勝負勘は雫の予想を越えていた。
これまでの試合から、ブラスターは力の差を誇示するかのように、力任せに押してくるだろうと思っていた雫は、完全に虚を付かれた形となった。
「甘いよ、くらいな!!」
距離をとった雫の懐にもぐりこみ、ボディブローを放つ。
「あぐ・・・・・」
打たれたボディに、痛みというよりも、熱さを感じながら雫の体がくの字に曲がり、あごが下がったところに見えにくい側からフックを顎に。首を刈り取るかのように振りぬいた。
「あ・・・・?」
まともにもらい、二、三歩よろめくと腰から落ちるようにダウンする。
2、3秒しりもちをついたままで虚ろな眼差しを斜め上方に向けていた雫だが、思い出したように首を後ろに倒してリングに横たわった。
ボクシングなら、ここでレフリーのカウントが入っただろう。あるいはTKOだったかもしれない。しかし、これは
プロレスの、それも特上の無法地帯だった。
「オラ、この程度で終わると思ってるんじゃないよ、さっさと立ちな」
ブラスターが、リング上で糸の切れた人形のように横たわっている雫をどやしつける。彼女からすれば、奇襲が成功したことは当たり前、あとはどういたぶっていくかが問題なのだから、今の状態は、少々期待はずれなものとなる。
いつものように、不屈の闘志を燃やし、巨大な壁に立ち向かっていく雫の姿を期待している観客も、秒殺となりかねない雫のダメージに、ざわめきをもらし始めた。
そのまま、十秒以上が経過しても、動く気配すら見せない雫に、業を煮やしたブラスターが近づく。
「いいかげんに起きろや、このアマぁ~~っ!!!」
大喝を浴びせるなり、雫の無防備なお腹に、猛烈なストンピングを打ち込んでいく。ストンピングというよりは、踏み潰すといった形容詞がぴったり来る攻撃に、半失神状態の雫の意識は一気に呼び覚まされた。
「あぐ、うぶうっ!!がほっ!!!」
意識を戻した雫を待っていたのは、ブラスターによるボディ攻撃の地獄であった。あまりの衝撃に、喉の奥から吐き気がこみ上げてくるが、なすすべもなく、ただボディの蹂躙に耐えようとする雫。
「おや、目を覚ました・・・ってここで吐くんじゃないよこの馬鹿!!」
雫が意識を取り戻したことに気づいたブラスターだが、雫の顔が吐き気に歪むのを見て、少々やりすぎたと思ったのだろう、雫の髪を鷲掴みにして、リング外に落とした。
「うえぇ—っ!!おえぇ――っ!!」
リングから落とされた雫は、駆け寄ってきたセコンドの持つバケツに嘔吐し始めた。吐くものがなくなってなお、お腹を抱えてえずいている。
そんな雫の姿は、あまりに無残であり、観衆の中には思わず目をそむける者もいた。
しかし、そんなことに頓着しない者もいる。
「おらおら、やっと目を覚ましたんだ、もうちょっと付き合ってもらうよ。・・・これから何をするかわかるかい?!」
場外でうずくまったままの雫を無理矢理に起こすと、頭に布をかぶせ、何も見えないようにして鉄柱の近くに連れて行って恐怖心を煽っていくブラスター。
「きゃ、やめろ、やめて!」
次の攻撃が予想できたため、抵抗する雫。
「やめろだって・・・誰に口を聞いてるんだよ・・・お仕置きが必要ねっ・・・おらっ!」
ガン!!
大きな金属音が響き渡る。思いっきり雫の額を鉄柱に叩き付ける狂子。
そして、狂子が雫の顔を覗き込むが、黒地の布に隠されて中の様子は窺い知れない。しかし、布の中からは雫のうめき声が漏れ出し、さっきの攻撃が十分に効いていることを示す。
「ふふふっ・・赤い化粧も似合うだろうな・・・」
更に鉄柱攻撃をしていく狂子。
「アゥ!!アー!!キャアァ――ッ!!」
ガン、ガン、ガン!
何度も鉄柱に額を叩き付けられ、一撃ごとに鉄柱に雫の頭部から流れた血がべっとりと付く。
「さぁ、あたしの化粧の腕のほどをお客さんに見てもらおうか・・・」
とどめとばかりに鉄柱に雫を叩きつけて、雫の顔を覆っていた布を剥ぎ取る狂子。雫はたまらず鉄柱の真下に倒れこんだ。そのまま痛烈に痛めつけられた額を抑えてうずくまる。
しかし、残忍にも狂子は雫に鎖を首に巻いて引きずり起こす。
「く・・・・っ、苦し・・・」
両手で鎖を外そうとしながら悶える雫の顔は、すでに流血で真っ赤に染まっている。美女レスラーとして有名な雫が血祭りに挙げられるのを見て、場内の観客は思わず悲鳴を上げた。
雫の首に鎖を巻きつけたまま引きずるようにしてリングに戻ったブラスターは、リングブーツに凶器として仕込んでいたアイスピックを躊躇なく雫の額につきたてた。
「ヒアアアァ―――ッ!!アアァ―――ッ!!」
首を鎖で絡められたまま、さらに何度も額に鋭利な凶器を突き立てられ、悲痛な悲鳴を上げる雫の姿は、試合開始から数分しかたっていないのに、すでに鮮血で深紅に染め上げられている。
ひとしきり、雫の額をえぐり続けて、やっと雫を解放するブラスター。試合開始早々から激しい流血にあい、意識を混濁させている雫の両足を抱え込み、さそり固めにとった。
「ぎゃあああ~~~~っ!!あああああ~~~~~っ!!」
一気につま先が頭につくのではないかと思わせるほどに体を折り曲げられた雫は、ものすごい悲鳴を上げる。
「雫、ギブ!?」
あまりの悲鳴に慌ててレフリーが雫に駆け寄る。
「ああっ!!助けて!!助けてえぇ~~~!!ノオオオ~~!!」
あまりの激痛に当りかまわず助けを求める雫だが、それでも本能的にギブアップを拒絶する。しかし、すぐに肢体を痙攣させ始めた雫が完全失神する前にブラスターは技を解いた。とはいえ、体が折られると思うほどに腰にダメージを受けた雫は、腰に手を当てたまま動くことが出来ない。
ブラスターは激しい流血で意識が混濁している雫を抱え上げ、コーナーポスト最上段に座らせた。その合間に、ブラスターのセコンドが、折りたたみ机をリングにいれ組み立てる。
ブラスターが投げ技を放てば、雫は頭頂からその机に激突することは間違いない。その光景を想像した観客の何割かは、残酷な光景から目を離そうとしたが、ブラスターも観客も、雫の執念を甘くみていたことになる。
コーナーポストに立ち上がろうとしたブラスターを、そのダメージからは想像も出来ないほどの機敏な動きでブラスターの頭を飛び越えた雫は、そのまま回転エビ固めに切って落とした。
雫自身はブラスターと比較して、大人と子供ほども体重差があったが、その体重が合計されて後頭部に加わったブラスターはたまったものではなく、後頭部を抑えたまま、コーナーの下でのたうっている。
観客席は、この大逆転劇に興奮の渦である。雫の体はすでに限界がちだづいていたが、観客の声援に後押しされるようにして雫は軽快な動作でコーナーに駆け上がり、ムーンサルトフットスタンプを見事に決めた。
「ぐごぉっ!!」
たくましい筋肉に覆われたブラスターの腹筋も、意識を集中させていない今では鎧としての意味を持たず、確実にダメージが加わっている。
一発、二発、三発・・・、ブラスターの腹筋に狙いを定めた雫は、全体重を乗せたフットスタンプをブラスターに浴びせたが、ブラスターがコーナーポストの下に転がり込んだとき、雫の反撃時に倒されたままの机をブラスターの後ろに置き、自身はコーナーに上ってブラスターが立ち上がるのを待っている。
(ぐう、これだけの反撃を食うとはね・・・・・。甘く見すぎたか・・・、いや!!舐め足りないんだよ!!今度こそはあの澄ましたお綺麗な面歪めさせて命乞いの1つもさせてやる!!)
身勝手な、しかし当人にとっては正当な復讐心を胸に燃やし、だが、やはりダメージはあるのだろう、ふらふらと頭を抱えて立ち上がったブラスターを待っていたのは、宙に舞う雫の腕であった。
コーナーポストからの回転式DDTだ。ブラスターの頭が、雫の体重と、ブラスターの首を支点とした遠心力を加えられて折りたたみ机に激突する。
リングの妖精と呼ばれるにふさわしい身のこなしと、見掛けに似合わない破壊力の、まさに改心の一撃である。
「イクゾ――――ッ!!」
先ほどの一撃により、大流血となり、意識の混濁したブラスターを立たせ、未だ流血の止まらない体に鞭打って、観客にアピールを入れた。
観客席がワッと沸く。それは、雫が勝負を決めるときのアピールであったからだ。長い長い屈辱のときを経て、ついに正規軍がヒールに一矢を報いる瞬間がやってきたことに対する興奮である。
雫は、コーナーポストに駆け上がると、後ろを向いたまま、ムーンサルトを入れた。そして、両膝がブラスターの首の付け根に当った瞬間、身を捻り、膝でブラスターの首を固定したまま、ブラスターの体を半回転させた。
ブラスターの体が弧を描いて頭頂からマットに沈み、跳ね返ってリング下に落ちた。
誰が見てもわかる、ブラスターのTKO負けである。しかし、雫も、受身を取りそこない、危険な角度でマットに叩きつけられた。両者ともそのままピクリとも動けず、場内にざわめきが起こる。
「雫もブラスターも動けないってことは・・・これって引き分けってことになるのか?」
「そうなるんじゃ・・・ああっ!!見ろよ!!雫が!!」
場内に予想以上の粘りを見せた雫への賞賛の空気が混じり始め、両者ノックダウンの展開になるかと思われた瞬間、雫の腕がぴくりと持ち上げられた。
しかし、レフェリーのカウントはすすみ、10カウント以内に立ち上がらなければ両者ノックアウトは決まってしまう。
「フォー、ファイブ・・・・・・」
意識を失い、ピクリとも動かないブラスター。かろうじて、ロープにすがりつきながら起きあがろうともがく雫。
正規軍は全員必死に狂獣連合を押さえつけ、誰一人乱入できないようにする。
「セブン、エイト・・・・・・」
誰もが必死にもがいている間にもレフェリーのカウントが進む。
「ああ~~っと!!ここまでか!!ここまでなのか、雫!!ここまで来て、健闘したで終わってしまうのか~~~!!!!」
リングアナの興奮した叫びが場内に響く中、ブラスターもようやく意識を取り戻し、立ち上がろうとするが、もうカウント以内に立ち上がることはできないだろう。雫もロープにしがみついてなんとか立っている状態だ。
「ナイン・・・、テ・・・!!」
ここで一気に会場が沸き上がった。カウント10が入る間際に雫がロープから離れ、ファイティングポーズをとったのだ。
カンカンカンカンカ~~~ン!!!!
ゴングがうち鳴らされ、興奮したアナウンスが試合終了を告げた。レフェリーは足下の定まらない雫の腕を高く上げ、勝者を称える。
「やりました!!ついにやりました、月嶋雫!!ついに、ついに!!難攻不落と思われていたブラスターの牙城を陥落させたぁ~~!!!!」
興奮したアナウンスの声がかき消されるほど会場中から歓声がとどろく。その中で、敗北したブラスターは視線だけで人を殺せそうなほど凶悪な顔つきで雫を睨み、何も言わずに去っていった。
リングに一人残った雫を、正規軍の面々が取り囲み、感激の涙を流す。
決してベルトを賭けたタイトルマッチではないが、今この場で歴史が変わったことを誰もが感じていた。
「・・・みなさん、応援ありがとうございます・・・・・・!!」
雫が、かすれた声で、しかしはっきりとマイクを持って告げた。その言葉に会場中から声援がわき起こる。
「・・・ありがとうございます。私が今日勝ったことで、この団体の方向は変わるでしょう・・・。ヒール軍は私を標的とし・・・、正規軍のみんなも私を後から追ってくる・・・」
静かに、ゆっくりと語る雫に、熱狂していた観客も静まりかえる。自らの血で身体中を朱に染め、艶やかな髪はごわごわに硬くなっている。しかし、誰もが雫の凛とした立ち姿に息をのんでいた。
「ですが、私は宣言します。今、この団体の先頭を走っているのは私だと!!これまではヒール軍にやりたい放題やられてきたけれどもこれからはそうはさせない!!」
息をのむ観客たちに、雫は一息ついて深々とお辞儀をした。
「・・・みなさん、今日は本当に応援ありがとうございました。みなさんの応援が背中を押してくれたから私は・・・、今日、ようやく勝つことができました・・・・・・。本当にありがとうございました・・・・・・」
そういって、限界を超えたのだろう。そのままふらりと前のめりに倒れた雫を、正規軍の面々が抱えながら控え室に運び、観客は精一杯に戦い抜いた美女レスラーに賞賛の拍手を惜しまなかった。
万雷の拍手の中、付き人に背負われながら退場していく雫雫。彼女は正規軍のトップとして、団体の象徴として、大きな飛躍を遂げた。そのことを、すべての人が次の試合で悟ることとなるだろう。